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折角なので、笑いについて書きます。

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 折角の機会なので、この場では笑いについて、なにかしら書いてみます。
笑いって、特に不思議な感情で、喜怒哀楽のどれよりも意図的に生み出すことが難しいものだと思っています。この規則にさえ従えば確実に笑うという方程式はなく、島田紳助が笑いの世界に入った18歳にまず「笑いの教科書」をつくることから始めたように、それぞれが好きなお笑いを研究することで、あるいは実践によって経験的に学ぶことで、不明瞭な笑いの感情に多様な輪郭を与えています。

 その絶望的なまでの教科書のなさが、逆に自由な笑いを生み、漫画家と同じく自由を求めるクリエイターが日々新しい笑いを生産しています。教科書ができた途端、こうしたジャンルは伝統芸能と呼ばれ、内に閉じこもり始めるのかもしれません。この場では、その意味不明な笑いという感情について、漫才やコントを題材に、笑いについて何回かに分けて考えてみたいと思います。

前半は日村を笑ってもいいんだよ、とさせるムード作り

 今回の題材は、バナナマン「puke」。2002年及び2008年に公演されました。2002年の伝説のバナナマンライブ『ペポカボチャ』ですが、その多くは傑作選という形で数年後に再演されています。「puke」とはゲロの意味で、あらすじは、設楽の家に酔っ払って帰ってきた日村がゲロをしてしまった、というものです。

 設楽と日村は外で相当飲んできたらしく、特に日村はべろんべろんに泥酔したまま設楽の家に到着します。「ねえ今日家泊めてくれるかい?」「ここがお前の城か、狭いな。四方八方丸見えじゃ」「ねえ家賃300円ですか?」などと酔いに任せた発言を繰り返します。調子に乗っている日村に同情の余地はありません。

「シャワー浴びる?」と言う設楽に対し、「気を使うでないぞ、ワシは顔を洗うだけで十分じゃ。タオルはあるか」と言う日村。酔った勢いに任せたボケは止まりません。「ワリーズナブル」というフレーズをしつこく繰り返し、シャワーに向かう設楽を怒らせると、日村は洗面所で顔をスパスパと洗います。その直後、顔に水を浴びて落ち着いたのか、部屋の隅で大量のゲロを吐いてしまうのです。

 そして日村は我に返ります。人の部屋でゲロをしてしまうという何人たりとも許されぬ行為、さらに相手は設楽です。ここから日村のゲロ隠しが始まります。観客は、ゲロを隠そうとする日村を客観的に眺めることができます。もちろん、当事者であればこの状況を笑えません。ゲロにタオルを上に被せて視覚を封じ、アロマで嗅覚に対処します。そしてシャワーを浴び終えた設楽が帰ってきます。

後半はゲロに翻弄される滑稽な日村を遠慮なしに笑う

「ん、なんだこのにおい」「あのごめん……」「あー、お香炊いた?」「そうお香炊いちゃった」などと、設楽の発言の一つひとつに過剰に反応する日村。設楽がタオルに接近するたびに行動も発言も過激になります。秘密を共有する観客は、同情の余地もない日村を思い切り笑えますし、二人のすれ違うさまに感情が動きます。それは初めから変な設定の人が、変な行動をしているというだけよりも、その行動に一定の合理性があることで、私たちは安心して笑うことができます。

 ここまで書いて気づいたのは、バナナマンというコンビは、日村という人間を、いかに安心して(つまり遠慮なしに)笑えるか、ということに終始している気がします。私たちは本能と教育の相互作用によって、あからさまに変な人間を笑うことに抵抗があります。彼らに同情してしまえば、笑うことはできません。だからこそコント師は、同情の余地もない人物を配置したり、調子に乗っている人を失脚させたりして、笑っても許される雰囲気作りに腐心しているのです。

 話を戻すと、潔癖性の設楽にどうしてもゲロを隠し通したい日村は、フェイスタオルを敷いて寝てるという嘘までつき始めます。「俺いつもこうやってタオルを敷いて寝てんの」「マジで?」「マジで!」「いつも?」「いつも!」「マジかよ」「これマジなんだー!」自分の嘘が発端となって、日村はゲロタオルの上に座ることを強要されます。こぼれたビールに対してもタオルは使えないので、自分の服で拭くことを試みます。寝ることも促されますが、当然逆らえません。

 終いには部屋を離れられない日村を腹痛が襲います。「設楽、ウンチしたい」「ウンチ、トイレ行ってくればいいじゃん」「俺ここにいたいの」「ダメだって、トイレ行きなよ」「ねえ設楽……ここでしていいか」「いやダメだよ!!」 ブリブリブリ……日村はついに部屋でウンコを漏らしてしまいます。潔癖性の設楽は、漏れたウンコの臭いに気持ち悪くなって、タオルの上にゲロをしてしまい、それを見た日村が嬉しそうに「勝ったぞー」と叫んで舞台は暗転します。

 かつて松本人志は、「放送室」でごっつのコント作りに触れ、「人間のかっこ悪さ」は面白くて「愛」があると言っていました。人間のかっこ悪さは、タブーと隣り合わせです。一歩間違えばイジメにも見えかねない。その境界を分けるのが、「愛」ということなのでしょう。その愛ある工夫が、ドリフからごっつからバナナマンから次世代のコント職人に受け継がれている。今回の「puke」では、二人の演技もさることながら、「どうしようもない人間のかっこ悪さ」が、愛のある形で映し出されています。その愛というものが、遠慮させない二人の雰囲気作りにあった、ということで今回のコラムを終えようと思います。また次回。

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 折角の機会なので、この場では笑いについて、なにかしら書いてみます。
笑いって、特に不思議な感情で、喜怒哀楽のどれよりも意図的に生み出すことが難しいものだと思っています。この規則にさえ従えば確実に笑うという方程式はなく、島田紳助が笑いの世界に入った18歳にまず「笑いの教科書」をつくることから始めたように、それぞれが好きなお笑いを研究することで、あるいは実践によって経験的に学ぶことで、不明瞭な笑いの感情に多様な輪郭を与えています。

 その絶望的なまでの教科書のなさが、逆に自由な笑いを生み、漫画家と同じく自由を求めるクリエイターが日々新しい笑いを生産しています。教科書ができた途端、こうしたジャンルは伝統芸能と呼ばれ、内に閉じこもり始めるのかもしれません。この場では、その意味不明な笑いという感情について、漫才やコントを題材に、笑いについて何回かに分けて考えてみたいと思います。

前半は日村を笑ってもいいんだよ、とさせるムード作り

 今回の題材は、バナナマン「puke」。2002年及び2008年に公演されました。2002年の伝説のバナナマンライブ『ペポカボチャ』ですが、その多くは傑作選という形で数年後に再演されています。「puke」とはゲロの意味で、あらすじは、設楽の家に酔っ払って帰ってきた日村がゲロをしてしまった、というものです。

 設楽と日村は外で相当飲んできたらしく、特に日村はべろんべろんに泥酔したまま設楽の家に到着します。「ねえ今日家泊めてくれるかい?」「ここがお前の城か、狭いな。四方八方丸見えじゃ」「ねえ家賃300円ですか?」などと酔いに任せた発言を繰り返します。調子に乗っている日村に同情の余地はありません。

「シャワー浴びる?」と言う設楽に対し、「気を使うでないぞ、ワシは顔を洗うだけで十分じゃ。タオルはあるか」と言う日村。酔った勢いに任せたボケは止まりません。「ワリーズナブル」というフレーズをしつこく繰り返し、シャワーに向かう設楽を怒らせると、日村は洗面所で顔をスパスパと洗います。その直後、顔に水を浴びて落ち着いたのか、部屋の隅で大量のゲロを吐いてしまうのです。